1: ジャン・ポール◆Vkp7zYl5.c 2016/03/26(土)20:32:36 ID:m5w
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 戦前戦後の尖閣諸島(沖縄県石垣市)海域の漁業を調査してきた沖縄県の民間研究グループによる報告書「尖閣研究」(尖閣諸島文献資料編纂会)がこのほど第3巻を発刊し全巻を完結させた。第3巻は「海人(ウミンチュー)」と呼ばれ、尖閣の海で生きてきた漁師30人の人生の「語り」を収録したほか、これまで不明だった尖閣のサンゴ漁や周辺海域の“電灯潜り”の実態なども調査した。

 儀間真松さん(82)=同=は中国公船が我が者顔で往来する状況をこう憂える。「中国船、昔はこなかった。もう一本釣りは怖くて行けないと言ってます。反対に日本船が中国領でやったら、(彼らは日本船を)ぶっ捕まえて船も没収してそのまま中国に連れて行きますよ。中国船が来るのは、捕まえてもどうせ返すはずだからと、日本を軽くみているからだ」。この聞き取り当時、宮古島近海は中国のサンゴ船が集まっていた。

 2010年8月に刊行された「尖閣研究」の第1巻は戦前からの沖縄復帰(1972年)までの尖閣海域の漁業を辿った内容だった。発刊の2カ月後、中国外務省は「尖閣諸島海域は“中国漁民の伝統的猟場”である」との声明を出し、反発した。

 この中国の主張が事実無根なのは自明だ。沖縄の漁師たちは中国漁船が入ってきたのが1980年以降であることを実際に見て知っている。だが、実は尖閣周辺の日本の漁業についての歴史的研究は「尖閣研究」第1巻が出るまで、政府レベルも民間レベルも全くなかった。そのため関連の文献、資料が散逸したままだった。

 戦後の尖閣諸島の民間研究は高良鉄夫・元琉球大総長(故人)が知られる。高良氏は1950年~68年、5回にわたって尖閣に上陸し、その生態系を学術調査し発表した。晩年の高良氏は本書の民間研究者グループ「尖閣諸島文献資料編纂会」の顧問を務め、編纂会は高良氏の調査をまとめ、「尖閣研究高良学術調査団資料集」(2007年)として刊行。この活動の延長が知られざる海の研究「尖閣研究」なのだ。

 中国漁船のサンゴ密漁は小笠原諸島(2014年)より沖縄近海(2012~13年)が先だ。
宮古島の漁師、長嶺巌さん(65)=同=は2012年、一本釣りの4・3トンの船で宮古島沖で
100トンクラスのサンゴ密漁、中国船の一団に遭遇した。その数約50隻で堂々と網を入れ、サン
ゴを採っていた。

 あまりの多さに「何をされるか分からん」と逃げ帰った。「異変はその二、三年前から起きていて中国船が来ていた。サンゴは採り尽くされた」

 その後、水産庁が資源調査を行ったが、宝石サンゴの生育には10年以上かかる。サンゴの生育地はハマダイなどの産卵場所で一本釣りの好漁場だが、中国船に荒らされた海が元に戻るには時間がかかる。

 中台の船を日々、警戒している沖縄の漁師たちは、「中国漁船の今後の動向は怖い」と訴えている。

 沖縄船20隻に台湾船300~400隻。日台漁業協定はあるが、トラブルは絶えないという。また最近の台湾船に乗っているのは中国人船員で、将来、この漁場に中国の大型マグロ延縄船が出てくると予想されている。日本は資源保護からクロマグロの禁漁期を検討しているが、「いくら沖縄の漁師が我慢して魚を育てても外国の漁師が釣って行けば意味ない。我々にとっては死活問題です」と危機感を募らせている。
(久保田るり子)

省略部の詳細はソースで
産経ニュース
http://www.sankei.com/premium/news/160326/prm1603260030-n1.html

引用元: ・【尖閣研究】「中国船、昔は来なかった」 この海で生きてきた漁師30人の証言 「伝統的漁場」という中国の主張は事実無根だ[3/25]

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