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1: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:04:02 ID:KFW
租調庸っていつまで続いたんですの?

引用元: ・歴史についてわからない事がある

3: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:06:29 ID:xzO
ググれば出てくるやろ
出てこんの?

4: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:06:40 ID:KFW
>>3
出てこなかった

5: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:07:31 ID:EkX
ワイが生まれた時はまだあったから少なくとも800年くらいまではあったな

8: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:10:49 ID:3wb
律令制が崩壊したときまでやで
その律令制が崩壊したのは一般的には墾田永年私財法のときと言われるから
まあ8世紀中頃まで続いたんやと思うわ

9: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:13:46 ID:KFW
>>8
その後の平安~鎌倉時代はどんな税の取り方してたん?

10: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:15:33 ID:Ocg
>>9
その頃もまだ米で納めてたとおもう

11: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:16:31 ID:xzO
>>9
そら荘園と守護やろ

12: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:17:24 ID:3wb
>>9
国有地がなくなってほぼ全部が貴族とか大寺院の私有地になったから
都合のいいように名目立てて取り立ててたで

13: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:18:18 ID:prp
米で取り立ててるようになったのは戦国末期からやろ
それまでは税は主に銭やったはず

14: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:19:36 ID:KFW
なんで11世紀ごろから年貢がかけられるようになったん?

15: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:19:40 ID:KFW
土地に

17: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:24:05 ID:Ocg
>>15
現代ほど働き方が多様化してないし大概畑耕してる百姓ばっかりだから土地の収穫高で統一したんやろ。

16: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:21:37 ID:prp
米や収穫物を銭に変えて治めろ

古銭や新銭で価値が違うし、銭自体の数が足りなくなってきてるし、コメ相場も毎年違うから農民も大変だわ領主側も大変

ほなら現物でええわ、領主側で両替するさけ

て感じ

18: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:24:24 ID:3wb
鎌倉時代だか室町時代頃まで皇朝十二銭が使われたくらい銭がなかったからな

21: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:26:09 ID:IHY
>>18
銭がないとより銭の鉱物価値と取引してる

19: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:25:37 ID:XEe
銭って中国から輸入してたんやろ?

20: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:25:54 ID:prp
>>19
せやで

22: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:26:39 ID:KFW
朝廷が班田収授法や租調庸をやめるっていったん?

23: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:31:08 ID:IHY
本当に祖庸調っていつまで続いたんだろうね。 
太閤検地くらいまで続いてだって認識だけど

24: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:33:54 ID:Ocg
イッチのせいでワイまで気になって調べてよくわからんくてモヤモヤしてもうたやないか。

25: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:34:37 ID:KFW
あんまり深く探ると他の勉強進まんな

26: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:36:30 ID:Ocg
最近公務員試験でかるーく触った程度だけど分かるかなと思ったけど意外と分からんかった。
イッチ大学受験のための勉強なんか?

27: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:38:52 ID:KFW
>>26
YES

28: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:41:02 ID:Ocg
センターの日本史なら土地制度そんな細かく出んやろ。
塾の先生に聞けば試験で理解出来るくらい教えてくれるやろ

29: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:41:57 ID:KFW
>>28
せやな

30: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:42:13 ID:KFW
でも気になってしまうという

34: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:43:47 ID:Of7
>>30
その気持ちすごくわかる
テスト範囲の縄文~弥生時代の勉強してたらいつのまにか白洲次郎の発言をまとめた本をブックオフに買いに行ってたわ

35: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:44:44 ID:KFW
>>34
理解者がいてくれて嬉しいで

36: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:47:03 ID:Of7
>>35
その結果ワイは落ちたで
東工大に受かったトッモが言ってたわ「高校の範囲を超えた勉強は大学行った時にできるんだから、今は受験勉強頑張れ」
イッチは頑張ってクレメンス

37: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:49:02 ID:KFW
>>36
失礼やが、教師としても反面教師としても学ばせてもらうで

38: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:53:18 ID:Of7
>>37
ワイの屍が誰か1人でも多くの橋になることを願ってるで

32: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:43:29 ID:9h5
禁裏御領限定なら延々と続いたんやないの?

33: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:43:34 ID:KFW
みんな教えてくれてサンガツ

39: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:57:05 ID:Ocg
ワイも国立落ちてゴミカス私立しか行けなかったからイッチ頑張ってくれ。
イッチが求める租庸調の答えは分からんが合格を祈ってるで。

40: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)22:17:02 ID:IHY
10世紀頃から、律令制で規定していた戸籍・班田収授による租税制度がほぼ崩壊し、現地派遣の筆頭国司である受領へ租税納入を請け負わせる国司請負へと移行し始めた。これに伴い、受領の勢力下にある公領は、受領の私有財産のように扱われ始めた。

41: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)22:17:17 ID:IHY
受領は租税納入先の大寺社や摂関家のような上級貴族へ滞納が生じると、勤務評定である受領功過定(ずりょうこうかさだめ)を切り抜けるために、公領の一部の租税収納権を納入先の大寺社や摂関家に与えることが 慣例となってきた

42: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)22:20:50 ID:IHY
気になってきたから調べてみたよ。 
Wikipedia を駆使したけど。 

租庸調の終焉は900年前後ぐらいで考えてた方がいい。 班田収授法が 終了したのが900年ぐらい。 
そこから国衙領に移って、太閤秀吉の検地で 武家と公家の二重支配消滅してたっていうところですね

43: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)22:23:33 ID:IHY
摂関政治が平安時代中期ぐらいに進んでしまい 国の領地が 藤原氏の領地化していくから 曖昧になっていくって感じですね。 
戦国時代になると 下克上が進んでくるので調停としての収入もおぼつかなくなってくる江戸時代に入って十万石ぐらいを 認められたってとこでしたかね

31: 名無しさん@おーぷん 2018/08/08(水)20:42:50 ID:iZu
その好奇心はいいものやから大学入るまでとっておけ